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2016年8月17日水曜日

職人は馬鹿である(職人翻訳機)


欲しいよね職人翻訳機。
いや、私別段職人さんが嫌いってわけではないんですが。
技術は確かなのに、
このような説明力的なものが皆無な人多いじゃないですか?
しかもその能力が低いということを気付いてもいないのが絶望的。
先代も先先代もずーっと説明が下手だったから
それが当たり前になっているんですよね。

もったいねぇ

説明が下手だということは
時間が大幅に無駄になるということ
職人の技術を身につけるには
膨大な時間が必要ですが
その説明下手のせいで、
さらに無駄な時間を浪費してしまう。

もしかすれば
その時間も修行の時間なのだ!
なんて勘違いをしているというのなら
目も当てられない。

名選手、名指導者にあらず。

みたいな感じで。
自分の不得手はしっかりと認めなければ。
素晴らしい技術が伝わらなくなり
その伝統は廃れるのみなのです。

よく勘違いしがちなのですが
伝統だからと言っても
間違えていることはあるのです。
今の技術でそれ以上のことができるのに
無駄に時間をかけて、完成度の低い物を作っている場合さえありあます。
もちろん全部がそうではないですよ。
当たり前だ!
それを見極めるのもあなたの仕事なのです。
何も考えず言われた通りのことをやっているのなら
ロボットでそれは良いわけなのですから。

そう、伝統は日々進化するのです。

風姿花伝

花と言えば
四季折々の花がある
季節が変わって
咲く花であるからこそ
その花は珍しいものとなり
人々も喜ぶ

能も同じである
人にとって
珍しく新しいものであるからこそ
面白いと感じる

つまり
「花」と
「おもしろい」と
「珍しさ」は同じ事なのだ。

『風姿花伝』より

能の開祖、世阿弥
常に変わり続けることが伝統を長く引き継げる極意である
…といった教え。
花はいつも同じではないのだ。

極楽京都日記: 集団創作のパターン 


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